iMacがほしい 980915ユーザーとして工業デザイナーとして親として
ユーザーとして

いろいろ言われ始めていますが、本当は今もほしいと思っています。8月に入った頃から雑誌やAppleのホームページを見て、9月29日の3時を待ち遠しく思っていたのは私です。初めてMacに出会ったは15年以上前、会社の技術部の倉庫に眠っていた128Kマシンです。英文ワープロとお絵描きができるだけでしたが、操作環境は今とまったく同じでした。その頃N社の国産パソコンを確か一回のボーナスでも足りないくらいの金を叩いて買ったところだったのですが、いつか自分もMacを持ちたいと思いました。しかし、あの頃はあまりにも高すぎました。

現在、2台のMacを所有しています。1台はPowerBook Duo270c、内蔵しているのはハードディスクとモデムだけ、あとは外付けという明快なコンセプトでその当時としては大変コンパクトかつ軽量で最近のB5サイズのWindowsマシンには負けますが、今でも十分ポータブルで、帰省時には持って行ってメールの確認とホームページの更新をしています。この文も270cで書いています。もう1台はPowerMacintosh4400/200、1年前「これは安い」と買ってしまいました。商品コンセプト的にもデザイン的にも特徴のないマシンです。機能的には満足はしていますが、ものとしての所有と使用の満足感はないマシンです。

そんな時、iMacが現われました。

工業デザイナーとして

iMacのスケルトンは新しいデザイン手法ではありません。現在日本の消費市場における一時的なトレンドとしての現象だけでなく、デザイナーは透明なもの、透過するものに誘惑されるところがあるようです。クラマタが薔薇を封印した透明プラスチックの椅子創ったり、コカコーラの瓶を砕き人工大理石を創ったように、想いを込める手法として、素材は有効なデザイン言語となります。

ブルーとホワイトのカラーコンビネーションは最も安全な選択です。カラー展開をせず、しかも全世界に向けての商品であればブルー系の選択が大多数の賛同を得ると思います。素材と色が全面に出ているデザインですが、かたちについては360度デザインを目指したところに共感します。商品が成熟化してくるとコストが厳しくなり必然的に主として消費者が見る視点でのみデザインすることとなります。パソコンをデザインしている多くのデザイナーが価格競争の中でやりたくてもやれなかったことでしょう。

今回のiMac人気は、デザインの注目度もさることながら宣伝も含めてのトータルマーケティングの結果です。販売店を絞ったことは営業的に価格政策があったのでしょうが、商品の稀少価値をより高めることとなっています。しかし、メーカーとしては商品をほしいと望む全ての人に提供する使命があるのですから、あまりやり過ぎると逃げていく人も増えるでしょう。デザイン評価がトータルマーケティングの結果にも依るのであれば、デザイナーは商品をユーザーに届ける方法、演出にも関わる必要があるのかもしれません。

親として

親として子供には思い出となるもの、記憶に残るものを与えたいと思います。その意味ではiMacは与えてやりたいパソコンです。ものが溢れて物質的に恵まれた時代(世界の一部ですが)だからこそ物語れるものを身の回りに置きたいものです。

ユーザーとして工業デザイナーとして親として